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はなし
石のはなし
良縁・えんむすびの石
(男柱・女柱のみとおしの石)
どのような時代になろうと、どのような技術が生まれようと、人が人である限り、一人では生きていけません。
誰かと支え合って生きてゆくものです。
えんむすび祈願処の男柱、女柱は、永年神門を支え 神域より世の中を見守って来た
縁結びの絵馬を奉納し、《みとおしの石》より将来を見通して、良縁をいただきましょう。
1月成人の日午前11時より縁結び祈願祭を斎行いたします。
御祈願祭の後に行われる"みとおし絵馬かけ行事"については、祈祷者以外の参加も可能です。
当日受付いたします。
白龍さまの重軽石(おもかるさん)
白龍さまの
人生の悩み将来の進路など、それぞれの迷い事を重軽石をもって白龍様のお導きをいただいて下さい。
また、この石を
迷いを解きに、健康を祈り、日夜人々が参拝に訪れます。
お願いの仕方
神様にお願いを託し
軽ければ良し 重ければさらに努力をする事
力石(奇しき妙なる丸石)
昔、若者たちが石を持ち上げ力比べをした風習がありました。
当宮の不思議な形をした力石は強い力を秘めていると言われ、 撫でれば強い力を授けてくれると言う信仰があります。
神石(長寿の神と仰がれる大岩)
当宮の御本社に
同じ山の神様のお子様に
「桜のように美しく、岩のように強く丈夫で長生きするように」と古代の人たちはお二人を信心したのでありましょう。これに因み、当宮では命の水である
清正石 (名古屋城築城と白龍社)
名古屋城
実は、当宮の境内にはその清正公にちなんだ清正石と呼ばれる石があります。
当宮の白龍社は、三社が並んでいます。実を言えば当宮に祀られていた元々のお社は一社でした。
他の社うち一社は、名古屋城内(その後ある企業の敷地となる)に清正公がお祀りしたと伝えられています。
先々代の宮司の頃、その社をとある企業が敷地ごと手に入れました。しかしながら、その企業も道路建設の為にその地より移転することとなってしまいました。そこで、お社の移転を思い悩んだ企業主さまに頼まれ当社に引っ越しして来られたといいます。
何故、白龍社を
一つには、築城がなかなかはかどらず清正公が思い悩んでおられた時に、白竜神が夢枕に立たれ、お祀りするようにお告げがあったとの話。
別の一話によれば、築城に際して多くの石を求めた清正公が、石を切り出した時に、にわかに白い蛇が現れました。そこで、清正公は、築城の安全を祈念して白龍社をお祀りした。との話が、伝えられています。
真意のほどは判りませんが名古屋城は無事完成し、空襲により焼け落ちるまで天下の名城として称えられました。
名古屋城築城の際に、その
昭和32年
『尾張藩創業記』には普請方の一人として佐久間河内守の名があり、石材の収集地として愛知郡石佛村善昌寺の焼け跡との記載が見られるようです。
清正公の石切場は中川区月島の琴平神社にもあったと伝えられています。