伝えられし物 御神像と棟札
御神像六躯
室町初期のものとされます。刀法は鋭く、鎌倉風をしのばせるものです。
棟 札
嘉吉 の棟札
棟札の風習は地域によって行われない場合もありますが、この地域では古くより行われておりました。
嘉吉の棟札は、嘉吉元年に御器所領主佐久間
永禄 の棟札
永禄7年の年号が記された、織田家臣団の重鎮であった佐久間
慶長 の棟札
社伝によれば小牧長久手の戦いの前、徳川家康公が島田城主(大島家)の案内により当社に立ち寄られたと伝えられます。
この御造営は家康公の命で行われたとも伝えられています。
その他の棟札
天保年間まで嘉吉永禄の棟札を含め31もの多くを有します。
棟札第四号までは八所大明神の社名が記されています。しかしながら、第五号(万治2年1659)よりの棟札には八幡宮と記されるようになりました。
この時に時代の流れにより主祭神の変更がなされたと思われます。