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御祭神

品陀和気命ホンダワケノミコト木花開耶姫命コノハナサクヤヒメノミコト五男三女神ゴナンサンジョシン天児屋根命アメノコヤネノミコト弥豆波能女命ミズハノメノミコト菊里媛命ククリヒメノミコト天照大御神アマテラスオオミカミ熊野大神クマノノオオカミ八剱大神ヤツルギノオオカミ高蔵大神タカクラノオオカミ山王大神サンノウノオオカミ

主祭神 八幡大神(品陀和気命)

八幡信仰の起源は、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮を始めとします。
御祭神は、応神天皇おうじんてんのう誉田別命ホンダワケノミコト】(当社では品陀和気命となっているが同じ)、神功皇后じんぐうこうごう比売神ヒメガミの三神で、欽明天皇の御代(五四〇から五七一)、豊前国宇佐郡の御許山に初めて現れ、大神比義オオガノヒギによって祀られるようになりました。
これが宇佐神宮の創祀とされています。

奈良時代、八幡神は、聖武天皇のみことのりによって進められた東大寺の大仏建立を助けるため上洛し、東大寺の守護神として鎮座(現・手向山神社)、次第に仏教との習合しゅうごうを深めていったため、仏法守護の神として崇められ、「八幡大菩薩はちまんだいぼさつ」の称号が奉られました。
また、同時代末には和気清麻呂わけのきよまろが宇佐八幡宮の託宣たくせんを受けて皇位を狙う僧、道鏡どうきょうの野望を阻止したことにより、皇位守護の神としての性格も強めました。
平安時代には平安京の守護神として勧請かんぜいされ、都の裏鬼門の方角の男山に祀られたのが、現在の岩清水八幡宮です。
鎮護国家の神として朝廷の篤い崇敬を受けました。

この岩清水八幡宮の社前で、元服の式を挙げたのが八幡太郎として名高い源義家みなもとよしいえです。
義家は源氏の棟梁とうりょうとして八幡神を自らの氏神うじがみ、また武門の守護神として仰ぎました。
その由縁もあり、源頼朝が鎌倉幕府を開くと、鶴岡八幡宮を現在の地に勧請し、幕府の守護神として祀りました。
それ以後、各地の武将の篤い信仰のもとに全国各地に祀られるようになりました。

当社が八幡大神を主祭神とするのは江戸期からであり、それまでは各棟札が示すように、八所大明神が主祭神でした。
このことも武家の崇敬により各地に八幡信仰が拡がったことと無縁ではないと考えられます。

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