始頁 > 由緒 > 史跡

史跡 八幡山古墳はちまんやまこふん

鶴舞公園の南にある大圓墳、一説には南朝第3代長慶天皇(正平23年(1368年)から 弘和3年(1383年)在位)の御陵とも伝えられ、当宮の奥宮であったとされています。
陰暦の8月14日、15日、当宮例祭の前日に神輿みこしが八幡山に神幸し山の頂にて 湯立神事ゆたてしんじを厳修し、往古、この神湯を城主佐久間氏に捧げたと伝えられます。湯立神事は、大戦時に釜の拠出により一時途絶えましたが、現在は2月3日節分祭の行事として斎行され、多くの参詣者に金の湯を授与しています。

この地は、古くから人々が生活を行っていたとみられ、近接に一本松古墳、聞天閣貝塚があり一群を形成しています。
八幡山古墳の大きさは径82メートル高さ10メートルの円墳で周湟しゅうこうを残しており、湟の幅は12.7~22.7メートルです。
墳頂で形象埴輪、朝顔形埴輪、円筒を出土、一本松、聞天閣、両古墳より出土したものをも含め鶴舞図書館に保管されていました。しかしながら、非常に残念なことですが全て戦災で滅失しました。
昭和6年に国の史跡とされました。

史跡 御所屋敷跡ごしょやしきあと

御所屋敷址 御所屋敷標

豊臣秀吉とよとみひでよし公の母である大政所おおまんどころ"なか"(永正10年(1513年)から 天正20年(1592年))の実家、関弥五郎兼員の屋敷跡といわれます。当社のほぼ真北約100メートル程に位置し、地下鉄荒畑駅(4番出口)より当社に向かう道中に在します。

QRコード
本日:  合計: